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大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)2458号 判決 1963年3月30日

判   決

大阪市東住吉区大塚町七二番地

原告(反訴被告)

堀内すて子

同所

原告

堀内好雄

右法定代理人親権者母

堀内すて子

右両名訴訟代理人弁護士

秋山治土

同市阿倍野区美章園三丁目五三番地

被告(反訴原告)

佐々木善治郎

右訴訟代理人弁護士

中村健太郎

主文

一、原告(反訴被告)堀内すて子及び原告堀内好雄の本訴請求を棄却する。

二、原告(反訴被告)堀内すて子は被告(反訴原告)に対し大阪市東住吉区大塚町七二番地の一宅地五八坪五合三勺のうえに施した工作物を収去して右土地を明渡しせよ。

三、訴訟費用は本訴について生じた分は原告(反訴被告)堀内すて子及び原告堀内好雄の反訴について生じた分は原告(反訴被告)堀内すて子の各負担とする。

事実

原告(反訴被告)堀内すて子(以下原告すて子と略称)及び原告堀内好雄の訴訟代理人は次のように述べた。

第一、本訴の請求の趣旨と反訴の請求の趣旨に対する答弁

一、本訴の請求の趣旨

被告(反訴原告以下被告と略称)は原告すて子に対し金一、六一七、九九三円原告堀内好雄に対し金一〇九、五〇〇円とこれらに対し昭和三六年五月二五日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払いせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

二、反訴の請求の趣旨に対する答弁被告の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

第二、本訴請求の原因事実と反訴請求の原因事実に対する答弁

一、原告すて子と原告堀内好雄は、被告所有の大阪市東住住市大塚町七二番地の一宅地五八坪五合三勺に建在する家屋番号同所第七二番の三、木造瓦葺二階建居宅(建坪二一坪三合九勺、二階坪一八坪一合一勺)のうち東側一戸(以下居住家屋と略称)を訴外亡安土義助の名義で賃借して居住していた。

右賃貸借契約が締結されたのは昭和三三年八月二四日である。

二、居住家屋の西側に隣接して棟続きに被告所有の一戸(建坪約四〇平方メートル以下車庫と略称)があつたが、昭和三四年末頃これを賃借していた訴外中川某が死亡しその後その娘とその入婿訴外畦崎某らが居住していたが、昭和三五年七月頃被告の明渡要求によつてこれらの者が明渡した。そこで被告はその階下中央居間四畳半の床を落してここに自動車車庫代用として自動車を格納するようになり、同年八月頃からその留守番人として被告の被用者である訴外亡高岡鉞治郎を止宿させた。

三、ところが同人は止宿するようになつてから毎夜のように車庫の階下土間で暖をとるため焚火をしたが、右のようにガソリン油のような可燃性物件で引火の危険性が強度なものを使用する自動車を格納し、そのうえ引火を防止するのに充分な特別設備のない普通木造建物の屋内で、しかも自動車に接近した場所で焚火をしていたわけで、原告すて子は近隣の訴外矢田部カノエ、同黒田米蔵、同嶋田近野などと、被告に対し焚火を禁止させるよう警告していた。

四、車庫の留守番に従事する者は、火気の処理について周到な注意を払い、みだりに格納された自動車に接近した場所で焚火をするなど自動車のガソリン油に引火の危険のある一切の行為をしてはならない注意義務があるにも拘らず、右高岡鉞治郎は昭和三六年三月二二日午後八時頃何時ものように慢然と右土間で焚火をしたためその火が土間に格納してあつた自動車のガソリン油に引火し、住家屋に燃え移り、居住家屋は階下四畳半、三畳の二間を残すだけでその大部分を焼失してしまつた。

原告すて子は取敢えず焼け残つた柱の部分などを利用して亜鉛板の屋根を造るなどの工作を施して焼残り場所を保存し雨露を凌ぐに必要な程度に補修のうえ居住している。

五、右火災は、被告の被用者である高岡鉞治郎が車庫内の可燃性のガソリン油のそばで焚火をするという重大な過失によつて惹起されたものであるから、その使用者である被告は原告らに対し民法七一五条にもとづき右火災による損害の賠償をしなければならないこと当然である。

六、その損害額は次のとおりである。

原告すて子分

(一)  原告すて子が居住家屋に対し附加した畳、建具、及び改造修理その他の造作のため支出した費用合計金一六〇、〇〇〇円でその明細は別紙第一目録記載のとおりである。

(二)  右安土義助は昭和三六年三月七日死亡したので、その相続人から贈与をうけたもので、その明細は別紙第二目録記載のとおり合計金二八七、一〇〇円である。

(三)  原告すて子が購入したものでその明細は別紙第三目録記載のとおり金一、一二〇、八九三円である。

(四)  右火災により非常な精神的苦痛を味つたが、その精神的損害に対し被告から金五〇、〇〇〇円の支払いをうけて慰藉されるべきである。

(五)以上の合計金一、六一七、九九五円が原告すて子の損害である。

原告堀内好雄分

(一)  別紙第四目録記載のとおり金五九、五〇〇円である。

(二)  同原告も火災により非常な精神的苦痛を味つたが右精神的損害に対し被告から金五〇、〇〇〇円の支払いをうけて慰藉されるべきである。

(三)  以上の合計金一〇九、五〇〇円が原告堀内好雄の損害である。

七、そこで被告に対し原告すて子は金一、六一七、九九三円原告堀内好雄は金一〇九、五〇〇円とこれらに対し本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三六年五月二五日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、被告の主張に対する反駁

一、民法七一五条の使用者被用者の関係は汎く他人の指揮監督のもとにその事業を執行する関係を指称するもので雇傭契約の場合に限らないし報酬の有無、期間の長短も問はないところ、被告は高岡鉞治郎を信任し、被告の指揮(命令)ないし許容のもとに長年月車庫に居住させ、車庫の留守番とする傍ら随時使い歩き、又は家屋の修理などをさせていたもので、このような関係は即ち使用者と被用者との関係といわなければならない。

二、(一) 安土義助の本籍地が被告主張のところであり、そこにその主張の頃婚姻して入籍した妻志津江がいること及び安土義助が被告主張の日死亡したことは認める。

(二) しかし安土義助は、昭和一五年頃から原告すて子とじつ懇の間柄となり、昭和一六年一月三日から滋賀県草津町元町に一家を構えて昭和二〇年一二月頃まで同棲し、同月頃から昭和二七年七月二五日までは大阪市東淀川区十三東之町二丁目二八番地に同月二六日から昭和二九年二月初頃までは同市浪速区広田町に、同月頃から昭和三一年七月中旬頃までは同市東淀川区三津屋中通四丁目に同月頃から昭和三三年八月二四日までは同市東住吉区馬場町七二番地に夫々同棲して居住し、同日から、居住家屋に原告すて子と転任し、死亡するまでそこに原告すて子と同棲していた。このように原告すて子は安土義助と内縁関係を結び事実上の妻として引続き同棲して居住してきたものであつて、世にいうところの妾ではない。

ところで、安土義助が死亡しその相続人が居住家屋を現実に使用しておらない場合、相続とは別に、内縁の妻である原告すて子が賃借人の地位を承継すると解すべきであり、そのことは賃貸借契約に当然包蔵されたものである。従つて、原告すて子の居住家屋の使用は右承継した安土義助の賃借権を援用するもので何等不法占拠者ではない。

三、居住家屋の大部分は焼失したが、なお階下四畳半及び三畳二間は焼け残つたのであるから、賃貸借契約は本件火災によつて消滅しておらない。

被告訴訟代理人は次のように述べた。

第一、本訴の請求の趣旨に対する答弁と反訴の請求の趣旨

一、本訴の請求の趣旨に対する答弁原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

二、反訴の請求の趣旨

主文第二項同旨の判決を求める。

第二、本訴請求の原因事実に対する答弁と反訴請求の原因事実

一、原告ら主張の本訴請求の原因事実と反訴請求の原因事実に対する答弁中

一、事実は認める。

二、同二の事実に対し、

(一)  車庫に被告の自動車を格納していたことは認める。

(二)しかし高岡鉞治郎は被告の被用者ではないし同人が車庫の留守番でもない。

(三)  同人は明治二三年七月二二日生れで本件火災によつて死亡した当時七一年の老人であり、身寄りがなく生活に困窮してた薄幸の老人であつて、昭和二六年一二月一三日から右死亡まで生活保護法によつて生活扶助をうけていた。被告は右境遇に同情し、車庫で寝泊りすることを承認した。同人は車庫では寝泊りをするだけで自分では炊事はせず近所の弁当屋で食事をし、右生活扶助料と、被告をはじめとし被告方の近隣の者の依頼によつて使走りや、便利大工、清掃などの仕事をし又町会の仕事の手伝などをして貰う礼金で生活を維持していた。

右の次第で被告と同人との間には雇傭関係委任関係は勿論のこと組合関係などの法律関係は何もない。ただあるのは、同人の境遇に同情し、車庫に寝泊りすることを承認した一種の使用貸借関係だけである。

原告らは、同人を車庫の留守番人にしたと主張しているが、同人が車庫で寝泊りするようになつたのは、昭和三五年九月頃であり、被告が車庫に自動車を格納するようになつたのは昭和三六年二月頃である。このとき車庫には電灯の設備がなかつたのでその設備をしたが、施錠はなく、従つてただ施錠が出来盗難の虞がない自動車を夜間格納しておくだけで、商品や家財道具など経済的有価値物を蔵置することはできない状況であつた。従つて被告と同人との間には留守番のような関係はなかつた。

三、同三、の事実は否認する。

四、同四の事実に対し、

(一)  高岡鉞治郎が、昭和三六年三月二二日午後八時頃車庫内で焚火をし、その失火によつて車庫を全焼し、隣接の原告らの居住家屋に延焼したことは認める。

(二)  同人が焚火をしたところ、その附近には板片紙箱その他の燃料が多数集積してあつた関係上、これらに燃え移つたもので、焚火の場所と自動車の位置は三メートル程の距離があり、右焚火により直接自動車のガソリン油に引火することはないし、自動車のガソリンタンクは密閉されてガソリン油が漏洩することもない。従つて原告らが主張するように自動車のガソリン油に焚火の火が引火して本件火災になつたものでない。そのうえ右の情況では高岡鉞治郎の失火は軽過失であつて重過失とはいえない。

(三)  右延焼によつて原告らの居住家屋の大部分が焼失し、原告すて子が焼残りの柱の部分などを利用して亜鉛板の屋根を造るなどの工作を施していることは認める。

三、(一) 被告は、昭和三三年八月二四日原告ら居住家屋を安土義助に賃貸した。

ところで、同人は、滋賀県栗田郡瀬田町大字橋本一、一二六番地に本籍を有し、昭和五年五月二三日妻志津江と婚姻し、その間に一男二女を儲けた。同人は昭和三六年三月六日死亡したが、そのときなお右妻志津江は健在であつた。

そうすると、原告すて子は安土義助の妾でしかないから同人の相続人となれないこと勿論である。

原告すて子は、妾として、居住家屋に安土義助と同棲していたのであるが、同人の死亡によつて、その賃借権を相続することができず居住家屋の不法占拠者となつた。

(二) 仮に被告と原告すて子の間に賃貸借関係があるとしても、右火災によつて居住家屋は全焼し賃貸借契約の目的物は消滅した。

建物の焼失があつたというには、建物全体が跡形もなく焼失した場合は勿論のこと、仮令一部分に焼残りがあつても、通常の費用では修繕が不可能と認められる限り、又はその残存部分だけではその効用を失い賃貸借の目的が達せられない場合にも焼失があつたことになり、大阪市消防局の「火災損害調査規程」によつても建物の七割以上が焼失した場合若くは焼失がそれ以下でも残存物件の補修が不可能と見られる時は全焼と認定することにしており、本件も二階は全部焼失し階下の大部分が焼失したところから所轄消防署は右規程により居住家屋は全焼したものと認定した。従つて、居住家屋が火災によつて滅失したのであるから、賃貸借契約は消滅した。

(三) そこで、被告は反訴で原告すて子に対し、同原告が居住家屋の焼残りに施した工作物を収去してその敷地である大阪市東住吉区大塚町七二番地の一宅地五八坪五合三勺の土地を明渡すことを求める。

六  同六、の事実は否認する。

第三、原告らの反駁に対する被告の主張

妾とは、「法律上の妻または事実上の妻ではなくして主として、妻帯の男性から経済上の援助をうけてこれと性的結合関係を継続する女をいう。」(最判昭和三二、九、二七刑集一一巻二、三八四頁)のに対し、内縁の妻とは、婚姻の意思で同棲し、実質的には夫婦生活を行つているが、法律上の婚姻届をしていない事実上の夫婦関係にある妻を指称する。従つて内縁関係に、法律上妻帯している男性と同棲関係にある場合は含まれないことは明らかであつて、原告すて子は安土義助に妻志津江がある限り同人の内縁の妻といえない。

証拠関係(省略)

理由

一、原告(反訴被告)堀内すて子(以下原告すて子と略称)と原告堀内好雄は被告所有の大阪市東住吉区大塚町七二番地の一宅地五八坪五合三勺に建在する家屋番号同所第七二番の三、木造瓦葺二階建居宅(建坪二一坪三合九勺二階坪一八坪一合一勺)のうち東側一戸(以下居住家屋と略称)を訴外亡安土義助の名義で賃借して居住していたこと。居住家屋の西側に隣接して棟続きに被告所有の一戸(建坪約四〇平方メートル以下車庫と略称)があり、そこに訴外高岡鉞治郎が止宿していたこと。被告は車庫に自動車を格納していたこと。及び同人は昭和三六年三月二二日午後八時頃車庫内で焚火をし、右焚火の失火によつて車庫を全焼させ、その火は原告らの居住家屋に延焼し、そのため居住家屋の大部分が焼失してしまつたこと、は当事者間に争いがない。

二、本訴の判断

(一)  原告らは、高岡鉞治郎が被告の被用者であると主張しているので、この点について先づ審究する。

民法七一五条に被用者とは、報酬の有無、を問わず、広く使用者の責任によりその指揮監督のもとに使用者の一定の業務に従事する者をいい、その内部関係は雇傭、委任、請負などの法律関係のほか事実上の関係で足りると解するのが相当である。

今この観点に立つて本件を考えてみる。

右争いのない事実や、(証拠―省略)を総合すると次のことを認めることができる。

(1)  高岡鉞治郎は明治二三年七月二二日生れの身寄りのない老人で手伝職として大工や左官の技術を身につけてはいたが定職はなかつた。

(2)  そこで、同人は被告の妻訴外佐々木住子の世話で、被告方を住所にして生活扶助の申請をして貰い、昭和二六年一二月一三日から生活保護法による生活扶助をうけるようになつた。しかし別に被告方に居住していたわけではなく昭和三〇年頃までは被告方の近所のアパートで独り暮しをしていた。

(3)  高岡鉞治郎は、昭和三〇年頃アパートを出て、しばらく生活扶助の住所になつている関係で被告方の二階に居住していたが、被告の世話で八尾の方に約一年位住み、その後大阪市内大黒町に一間借りて一カ年半位住みその後は同市内今宮の木賃宿に泊つていたが、その間、昼間は右の関係でずつと被告方の町内に来て、被告方をはじめとして同町内の各家から掃除、使い走り、小修繕をたのまれ、それらの仕事をしては、古着や礼金を貰つたり食事をさせて貰つていた。

(4)  同人は性来飲酒を好み、生活扶助料を受けとると、同市内新世界に遊びに行き、酒を飲みながら、安芝居などを観て金と時とを費し、金を使い果して又右のような使い走り、便利大工、左官、などをして細々と生活していた。

同町の町会も同人の境遇に同情し、町内の掃除や、ラジオ体操会場や祭りの準備などの仕事をさせ礼金として月平均金四二一円を与えていた。

(5)  生活扶助料の支給をうけるためその住所を被告方にした関係と同人が美理堅い性格であつた関係から、同人は、他のところよりも多く被告方に顔を出していたので、自然被告方の使い走りや留守番などの仕事をすることが比較的多かつたが、同人は、排他的専属的に被告方の仕事をしたわけではなく、同町内の町会の仕事は勿論のこと同町内の各家から直接同人に種々の仕事を頼み、それに対し食事や金銭などを与えていた。

(6)  昭和三五年八月頃車庫が空屋になつたところ、同人は被告に、気持がすさんできたから泊りだけさせてくれと申し入れたので、被告は、同人に同情し車庫に無償で居住することを許容した。そこで、同人は炊事はせずただ夜だけ寝ていたがそこは施錠ができなかつたので同人は夜になると適当に車庫に入つてねていたので、被告の方では同人が車庫でどのようにしていたか判らなかつたし、又判ろうともしなかつた。

被告の方では、施錠ができない関係から商品などの置場として車庫を利用していなかつたが昭和三六年二月になつて、車庫の階下に電気設備をして施錠のできる自動車を格納するのに利用した。しかし同人に特に格納された自動車の番をすることを命じたようなことはなかつた。

(7)  このようにしているうち一カ月後である同年三月二二日本件火災が起つたが、同人は、この火災のためシヨツク死したので、右町会が主催し、同人の持金と、町内の各家が出した香奠とで同人の葬式を出した。

このようなことが認められ、(中略)右認定の妨げとなる証拠はない。

右認定の事実から次のことが結論づけられる。

(1) 高岡鉞治郎は身寄りのない老人で、昭和二六年一二月一三日から生活扶助をうけていたが、その生活扶助をうけるについて、住所を被告方にした関係上、被告方には特に恩義を感じ、繁く出入し、被告方の使い走り、掃除、小修繕などをして、食事や金銭をお礼に貰つていた。

(2) しかし被告方の仕事を専らするというわけではなく、被告方の町内の各家の仕事を引きうけてしていたし、町会は積極的に町の色々の仕事をさせて金を与えていた。

(3) 同人は、昭和三五年八月頃から車庫に止宿するようになつたが、これも被告が同人に同情し無償で車庫でねることを許容をしたまでで、車庫の番をさせるため居住させたものでないばかりか、自分の家の被用者として住居を与えたものでもない。

(4) このようにしているうち、被告は昭和三六年二月から車庫に自動車を格納するようになつたが、そのため同人に特に車の番をすることを命じたことはなかつた。

(5) このようにみてくると、被告は、原告らが主張するように、同人を車庫の留守番としてそこに止宿させたものではないから、同人は被告の指揮監督のもとに被告の留守番という仕事に従事していた者即ち被用者とするわけにはいかない。

(二)  以上の次第で、被告と同人との間に使用者被用者の関係が認められない限り、被告に対し同人の使用者としての責任を問う原告らの本訴請求は、その余の判断をするまでもなく失当であり棄却を免れない。

三  反訴の判断

(一)  安土美助は本籍が滋賀県栗田郡瀬田町大字橋本一、一二六番地にあり、昭和五年五月二三日妻志津江と婚姻して入籍したこと。及び安土義助は昭和三六年三月七日死亡したことは当事者間に争いがない。

(二)  被告は原告すて子は同人に正妻がある以上同人の妾でしかないと主張しているので判断すると、妾関係であるか内縁関係であるかは被告が主張するように法律上の妻が別に存在するかどうかを決定的標準として区別することはできないのであつて、例えば、法律上の夫婦が離婚の合意をして別居しその間に夫婦共同生活の実体が全然存在しないが離婚の届出はしていない攻学上事実上の離婚の場合、相互に貞操の義務を負わないとしなければならないから、このような夫が他の女性と婚姻予約を締結して同棲したとき、その関係は内縁の夫婦関係として法により保護されるべきであつて、戸籍上妻が別にあることからその関係を妾関係とし、公序良俗違反を理由に法の保護の外に置くのは相当でない。従つて妻があつても必ずしも内縁の夫婦関係の成立を否定すべきでない場合がありうると解するのが相当である。

さて本件について考察すると、(証拠―省略)と弁論の全趣旨を総合すると、安土義助は昭和三三年八月二四日被告から居住家屋を賃借し(このことは当事者間に争いがない。)原告すて子と原告堀内好雄とで引越し、それ以来死亡するまで三人で居住家屋に暮し、近所の者は原告すて子を安土の奥さんと呼んでいたが、死亡後はじめて堀内さんと呼ぶようになつたこと。同人は妻志津江との間で昭和一三年一月二七日第三子を儲けてからその間に子供はなく、寧ろ、その後原告すて子との間で原告堀内好雄を儲けたこと、及び同人は居住家屋で原告すて子に看とられて死亡したこと。が認められ、(中略)ほかに右認定をくつがえすことのできる証拠はない。

右認定事実からすると、安土義助と原告すて子との関係は少くとも一五年以上も続きその生活は、挙げて原告らとの居住家屋における生活にあり、本籍地にある妻志津江との間には夫婦としての共同生活の実体は何等見当らないわけであつて、安土義助と妻志津江とはただ戸籍上夫婦であつたに過ぎず、事実上の夫婦関係は原告すて子との間にあつたとしてよい。

そうすると原告すて子は同人の妾ではなく内縁の妻として遇せらるべきである。

(三)  とは雖も、同人が昭和三六年三月七日死亡し、居住家屋の賃借権は、その相続人である妻志津江と長男安土昭一、長女佐藤真子、二女安土勝子が相続したことになる。(右の者らが相続人であることは前掲の乙第四号証で認める。)しかしこれらの者が居住家屋に住んだことがなく、賃借人であつた安土義助と居住家屋における生活共同者は原告らだけであることは右に認定したとおりである。

このような場合原告らの居住家屋に対する引続いての使用は如何なる権限によるものであるかについては困難な法律問題があり、学説判例とも区々として帰一するところを知らない状態である。

さて賃借人が死亡しその賃借権を他に居住している相続人が相続してしまうと、賃借人と共同生活を営んでいた者(本件では内縁の妻)が忽ち無権利者となつてその生活の基盤を失うとするのは不合理であり妥当を欠くとしなければならない。むしろ共同生活を営んでいた者の居住は保護されるべきであつてこれらの者は、相続人が相続した賃借権を援用して引続きその居住を続けることができると解するのが相当である。

このように解すると、相続人が賃借権を放棄したときは援用できないではないかとの反論があるが、そのような放棄は、共同生活を営んでいた者との関係でその生活をくつがえすもので無効と考える。それは恰度適法な転借人があるのに賃貸人と賃借人との間で賃貸借契約を合意解除しても、転借権をくつがえすことができないと同断である。

又相続人が共同生活を営んでいた者の居住を拒否した場合不都合が生ずるとの反論があるが、相続人は共同生活を営んでいた者の居住を尊重し、その居住の利益を優先さすべきであつて、相続人側にこの利益より更に優先さすべき利益があるといつた特別の事情のない限り相続人はこれらの者の居住を拒否できないと考える。

そして更に相続人不存在の場合不都合が生ずるとの反論があるが、相続財産法人に帰属した賃借権を援用することができるから不都合はないと考える。

この見解に立つて本件を見ると、原告すて子は、安土義助と居住家屋で共同生活を営んでいた内縁の妻として、同人の死亡後は、同人の相続人が相続した賃借権を援用して引続き居住家屋を使用することができるといわなければならない。

(四)  そこで進んで被告は右賃借権が本件火災による目的物の滅失のため消滅したと主張しているので判断する。

(1)  本件火災により居住家屋のうち大部分を焼失し原告すて子はその焼け残つた柱部分などを利用して亜鉛板の屋根を造るなどの工作を施したことは当事者間に争いがない。

(2)  右争いのない事実や、(書証、人証―省略)検証と大阪市消防局に対する調査嘱託の各結果を総合すると、

(イ) 原告ら居住家屋は二階建で、階上は、六畳、三畳、四畳半、階下は二畳二間、四畳半、三畳の各部屋があつた。

(ロ) 本件火災で階上は屋根とともに焼けて無くなり、階下は奥の三畳と物入の辺りは比較的焼け残つているが、車庫に接した西側の壁は消火のため水を含み著しく汚損し、表側(北側)は玄関の戸と台所の格子窓がやつと残つた程度でこの辺りの壁も焼けて汚損した。

(ハ) 原告すて子は火災後二階をとりのぞいて平家とし、西側の汚損した壁を落して焼け残つた柱の部分に継ぎ足しなどをして亜鉛板の屋根を設け、西側は壁の代用に外側は全部亜鉛板をはりつけ、内側からはベニヤ板を打ちつけて以前の四畳半の部屋を復旧し、それに北側は内と外側から亜鉛板を張つていずれも以前二畳の畳のあつたところを土間にした台所と玄関を復旧したが、奥の三畳と物入は比較的焼け残つたのでそのままにしてただ西側だけは壁を落して亜鉛板を外側からはりつけた。

(ニ) 本件火災の消火に当りその火災原因と損害の調査をした東住吉消防署の消防士訴外高橋源治郎は原告らの居住家屋の焼燬の程度を全焼と認定した。その認定をするに当り規準として、大阪市消防局が昭和二六年一二月二六日に制定した火災損害調査規程によつた。(但しその後四回改正されている。)

同規程一八条は、建物の焼失程度を部分焼、半焼、全焼の三つに分け部分焼は建物の焼失又は焼損した部分の床面積が一坪未満のもの及び床面積という言葉で表現出来ない部分を焼損した場合をいい、半焼とは部分焼以上で全焼以下のものをいい全焼とは焼失又は焼損の程度が建物の延べ面積の七〇パーセント以上のとき又はそれ未満であつても残存部分に補修を加えても再使用できない程度のものをいうと定義づけている。なお同規程二五条は、焼失坪数の計算方法として、全焼建物であつても死存部分が再使用可能であればその床面積をのぞき焼失又は焼損した床面積を建坪と延坪に区分して計算するように指示している。

右高橋源治郎は、原告らの居住家屋の建物面積を建坪四〇平方メートル延坪七六平方メートルとし、焼失面積は床面積一階四〇平方メートル二階三六平方メートル計七六平方メートルとした。これによると、原告らの居住家屋は一〇〇パーセント焼失したものと認定されたわけである。

(ホ) しかし実際は階下三畳と物入は比較的焼け残つているので、このことを考慮にいれても、右規程一八条にいう焼失程度が建物の延べ面積の七〇パーセント以上にはなる。

このようなことが認められ右認定をくつがえすことのできる証拠はない。

右認定の事実からすると、原告らの居住家屋は奥三畳と物入をのこしその大部分は焼失してしまい、右奥三畳と物入もその屋根がないし、西側の壁は汚損して使用に耐えない状態で焼け残つたことになる。

さて法律上賃借家屋が火災により滅失したかどうかは、その家屋のうち一部が焼け残り、その部分が物理的に修復可能かどうかによつて決めるべきではなく、賃借家屋を全体的に観察し、その主要部分が焼失してしまい、賃借の目的を達することが不可能の状態になつたかどうかによつて決めるべきであると解するのが相当である。

この見解に立つて本件を観ると、原告すて子は焼け残つた柱の部分などを利用して亜鉛板の屋根などを造り工作物を施して現在もそのまま居住しているが既存の居住家屋とは全くその様子を異にし、居住家屋を二階を含めて全体的に観察したとき本件火災によつて既にその主要部分を失い、焼け残つた部分だけでは賃借の目的を達することが不可能の状態になつたといわなければならない。

そうすると、原告すて子の援用する賃借権は、本件火災による賃貸借の目的物の滅失により消滅したとしてよいから、原告すて子は、被告に対し、焼け残つた柱の部分などを利用して設けた工作物を収去しその敷地を明渡さなければならない筋合である。従つて被告の反訴請求は理由がある。

四、以上の次第で、原告らの本訴請求を棄却し、被告の反訴請求を認容し民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。

大阪地方裁判所第三九民事部

裁判官 古 崎 慶 長

第一ないし第四目録(省略)

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